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19世紀イギリスについて、創作活動するために調べたこと。

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クリスティン・キーラー

桐生操「イギリス 怖くて不思議なお話」朝日メディア1993年

この本から「クリスティン・キーラー」を要約。
この部分、主語がイングランド側、ロシア側と移り変わりすぎて何度読んでもさっぱり分からなかったのでまとめてみた。

クリスティン・キーラー
概要:プロヒューモ事件(1961〜62)の関係者。ジョン・プロフューモ陸軍相の愛人。

・若いころキャバレーやナイトクラブを遊びまわっていたクリスティンはワードという男と知りあって同棲を始めた。
・ワードは表向きは接骨医だが、上流階級に高級娼婦を仲介する裏の顔を持っていた。クリスティンは美しく、また浮ついた性格だったのでワードに利用された。
具体的には怪しげなクラブに連れていかれてはそこで知り合った新たな男と遊び歩いた。強制されたのではなく彼女の自発的な行動だった。
・クリスティンはこのときプロフューモと知り合って付き合い始めた。
・ワードはその後もいかがわしい社交界を渡り歩き人脈を広げていた。彼はソビエトの海軍大尉ユージン・イワノフと知り合った。
・そのうちM15(イギリス情報局保安部)がワードに接触した。M15は彼の違法行為を咎めない代わりにソビエトの情報を流すように要請した。そこでワードはクリスティンを利用した。イワノフに紹介してスパイに仕立て上げたのだ。何も知らないおろかなクリスティンはイワノフとも付き合い始めた。
・ところがイワノフのほうが上手だった。イワノフはワードがイングランド側のスパイであることを見抜いた。さらにクリスティンがイギリス陸軍相の愛人ということまで調べ上げた。イワノフはワードを揺すり、以下の情報を提供するよう要請した。「アメリカが西ドイツに核を提供するかどうか、プロフューモから聴きだしてくれないか」
・ワードはとにかくスネに傷の多い男だった。セックス写真を取ったり、とにかくイギリス紳士にあるまじきいかがわしさだった。これはプロフューモにも当てはまるが、上流の男性にとって、娼婦を買うことはもちろんエロポラロイドを撮っているようなスキャンダルはご法度だった。というわけで、断れなかったワードはイワノフに言われるままに二重スパイになった。彼はクリスティンをさらに利用して、プロフューモから聴きだした情報をソビエトに横流ししようとした。
・1962年、野党である労働党の議員ウィッグは「プロフューモを監視しろ」とナゾのタレコミ電話を受けた。この電話はおそらくスキャンダルを狙ったソビエトのスパイからと思われる。
・一年半かけて、ウィッグは徹底的にプロフューモの身辺を調査し、上記の関係を調べ上げる。情報を揃えたウィッグは下院議会でプロフューモに機密保護の問題について質問した。プロフューモは完全否定をした。これは与党にとっては寝耳に水の話だった。与党はプロフューモはを問い詰めたが、白状しなかったのでおかしいと感づき、M15の担当者を呼びつけた。M15とソビエトのスパイ合戦は内閣の知らぬ間に繰り広げられており、内閣は初めて大スキャンダルが起きていることに気づいた。
・マスコミが騒ぎ立てた。クリスティンは浅はかだったので、マスコミの多額の謝礼に釣られて、プロフューモから貰ったラブレターを見せてしまう。
・プロフューモは陸軍相を辞した。
・ワードは孤独の中で自殺した。
・クリスティンはマスコミから逃げまわる生活ですっかり老けこみ、結婚離婚、アル中の生活を経て1人の息子を育てた。
・1960年、クリスティンを題材にした映画が公開され、クリスティンは息子と共に上映に現れた。「スパイだなんて思っていなかった。享楽を追求していただけだった。いまは息子だけが生きがい」コメントした。

…事件をもとに作られた映画「スキャンダル」1989年
*クリスティンはロンドン郊外レイズベリーの貧しいスラムで生まれた
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