アガサ・クリスティ失踪事件 人物(実在) 2012年02月21日 桐生操「イギリス 怖くて不思議なお話」朝日メディア1993年よりまとめ。新聞の名前がたくさん出てきたので少しつぶさに要約してみる。アガサ・クリスティ(1890年デヴォンシャー州トーキー生まれ)30歳で作家デビュー。1914年、24歳のときすでにアーチボルド・クリスティ大佐と結婚していた。一人娘をもうけるが、夫婦仲が上手く行かなかった。1926年12月3日金曜日22時ごろ車に乗って出かけたまま失踪。・失踪後、イギリス銃の新聞がアガサ・クリスティの失踪を報じた。・翌朝(土曜の朝)、アガサはロンドンの北北西300キロにあるハロゲート・ハイドロパシフィックホテルにチェックインする。アガサはミセス・ニールと偽名を名乗って泊まっていた。南アフリカのケープタウンからの旅行で、娘が死んだので傷心旅行に来た、と周囲の者に告げていた。あまり不信に思うものがいなかった。(チェックインから2日後、ナゾのミセスは未亡人なのにドレスを購入しに街まででかけた。その後は服をとっかえひっかえしたり、散歩したり、教会に行ったり。少し不審であった。)・ある者が新聞に載っている婦人と似ていると気づいて警察に通報する。・警察は2日間、「ナゾのミセス・ニール」を監視を続けた。・月曜、警察がナゾの婦人を張り込んでいることがマスコミにばれた。「デイリー・メイル」が記者とカメラマンを特別仕立ての列車に乗せて送り込んできた。記者の中には、リッチー・コールダーがいた。・コールダーがミセス・ニールに接触した。「クリスティ夫人」と呼びかけたら落ち着き払って、「私は記憶喪失だ」と言った。・アガサ失踪から一週間後、「ザ・タイムズ」に新聞広告が掲載された。内容は「南アフリカから帰国したテレサ・ニールをご存じの方は私書箱まで知らせて欲しい」というものだった。さらに後日の警察の調べでは、この広告を出したのは実はアガサ自身だったことがわかった。・警察がパニックになっているすでにこのとき、アガサはコールダーにだけ、自分がアガサであることを認めていた。・12月14日の火曜日、クリスティ大佐は警察から連絡を受けてハロゲートに到着。・後から考えれば本当に記憶喪失の人間がそう言うかは甚だ疑問だったが、当時の周辺関係者は以下のように考えて慎重に事を運んだ。1、クリスティとニールは別人の可能性 2.クリスティがニールであり、さらに本当に記憶喪失である場合、下手を打つとショックで容態が悪くなるかもしれない。・夫クリスティが夜会で妻に近づいたところ、妻アガサは夫を見て「兄だ」といった。彼女と彼は揃ってそこで夕食を取り、部屋にもどった。集まっていたマスコミは声明と単独会見を狙ってロビーで騒ぎ立てた。結局「ヨークシャー・ポスト」のハロゲート支局員ケニヨンがスポークスマンとして夫妻にインタビューした。・夫クリスティは「妻は完全に記憶喪失」と述べ、妻を連れてロンドンに戻った。・「デイリー・メイル」の記者が裏口でアガサの姿をカメラに激写した。高価なコートをまとっていた。・夫妻はロンドンのアブニイ・ホールに到着した。「デイリー・メイル」が電報を打った。内容は「売名行為ではないか?捜索に税をつぎ込んで納得しない市民がいるので説明してほしい」・夫は再び「妻は完全に記憶喪失。金曜土曜の記憶は全くない」とコメントした。・結局アガサがなぜ名前を偽って、ホテルに止まって失踪騒ぎを起こしたのかはナゾのまま終わった。女性ごころを考えると、夫の気持ちを取り戻したかったとも考えられるが、夫婦仲は戻らず、事件の2年後に離婚した。1930年にアガサは再婚した。・小説の宣伝のためかは定かではないが、結局この事件によってアガサの小説は売れに売れた。 PR