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19世紀イギリスについて、創作活動するために調べたこと。

イギリス猟奇事件

桐生操「イギリス 怖くて不思議なお話」朝日メディア1993年

怪奇、猟奇物語だけ概要を要約する。

・魔女イゾベル・ゴーディ
スコットランド、モレイシャー州出身。農夫の妻。
1662年4月13日に自分が魔女だと自白した。
拷問を受けることなく、魔女としての経歴をペラペラと喋ったのち、エルジンのウェストポートで絞首刑になった。
コメント:魔女は嫌疑をかけられただけでもれなく絞首刑。なぜ自白したのか…考え始めると好奇心くすぐられる。

・フレデリック・ブライ・ボンドとグラストンベリー文書
1907年、グラストンベリー大修道院から依頼され発掘に着手した考古学者。
グラストンベリー大修道院は5世紀に創設され、ブリテンの最も聖なる地と呼ばれた。イエスキリストが訪問した場所とされる。1086年まではアーサー王など歴代の王の墓所だった。16世紀、ヘンリー8世の命令によって修道院は破壊を受けた。数世紀にわたって書物は散逸し、建物の材料は持ち去られてしまった。
ボンドは何から手をつけていいかわからなかったので、友人ジョン・アレイン。バートレットに相談した。
バートレットが提案したのは、なんと自動書記(こっくりさん)であった。
二人は見事「修道士ウィリアム」を筆頭とする心霊を呼び出して、主にラテン語と古い英語で会話しながら建物の寸法を聴きだしていった。あまりに正確な寸法で記述されるため、ボンドは驚いた。
10年にわたりあの世からのメッセージを受け続け、ボンドはエドガー礼拝堂とロレット礼拝堂を発見した。(第一次世界大戦で中断したが、1919年に発掘再開した。)
ボンドは修道士達に敬意を表し、再びグラストンベリーが信仰の中心として栄えるように著書であの世のメッセージのことを暴露した。これに激怒したのは英国教会だった。心霊主義を認めていなかった英国教会は、ボンドが心霊主義に傾倒していると判断し彼をクビにした。のち、ボンドはアメリカにわたって公演して回った。ボンドが去るとグラストンベリーは急速に宗教の地として再び復興した。
コメント:こっくりさんを真顔で提案した友人の気持ちがわからないが。。。

・コッティングリー村の妖精
1965年「デイリー・エクスプレス」記者チェインバーズの取材

・ジョン・バークとウィリアム・ヘア
死体売買人。最初は墓を暴いていたが、新鮮な死体のほうが売れるので徐々に殺人に移行していった。顧客の解剖医は、コロシに感づいていた感があるが、何も言わなかった。警察の調べが入り、ヘアは協力したため罪を免れた。バークだけが1829年1月29日に死刑になった。この死刑囚は服役中に、自分を見に来る野次馬から物見料6ペンスをせしめた。彼らから死体を買っていた顧客の解剖医もまた罪を免れたが、世間から白い目で見られて大学を去った。

・ウィリアム・パーマー
1856年2月逮捕。毒殺魔。

・ハリー・ホワイトクリフ
新進気鋭の作家だが裏の顔は週一回の殺人鬼。

・ジョン・ヘイ 嗜血症の連続殺人鬼
幼い頃自分の血を舐めて嗜血症となった。家畜を殺して血を飲んでいたが、人を殺すように鳴った。血を飲むことで快楽を得ており、知人筋で殺人を繰り返した。
1949年に老女オリビア・デュラン・ディーコンを殺害。
ヘイは知り合いを殺しまくっていたが死体は酸で溶かしていたので、「罪体」が発見されず罪に問われないと思射込んでいた。警察にペラペラ自白。警察が入念に調べたところ胆石、溶けていない左足、義歯、人骨、ハンドバックの留め金など証拠品が多数出たため御用となった。
*デイリー・ミラー紙が「現代の吸血鬼」とかき立てたところ法廷侮辱罪となってしまい罰金1万ポンドを支払った。
コメント:法廷侮辱罪ね…なるほど。
第二段階におけるレイのモデルとしている。ところでヘイは人を殺害して血を飲んでいたが、飲血の際のオーガズムはどこまで得ていたのだろう。老若男女を問わずターゲットにし、セックス殺人に発展していないようなので、どーも血を飲むだけで達して満足していたように思う。いずれにせよサイコキラーの気持ちは全然分からない…。

・ヨークシャーのサトクリフ
1975年の切り裂きジャック
17件、次々と売春婦を殺害して尻や胸、陰部などを切り裂いている。
リーズかブラッドフォードの住民の犯行とみた警察は警察は犯行現場の地図にピンを立て、糸を貼って、移動距離が最小になる地を計算した。警察の思惑通り、サトクリフはブラッドフォードのヒートン地区に住んでいた。
しかし、警察が再調査を行なっているうち、18〜21人の犠牲者は起きてしまう。
サトクリフが売春婦を買ってカーセックスに挑もうとした時、勃たなくなって時間が手間取った。見回り中の巡査が、サトクリフの車の不信な点を見つけて声をかけた。事情聴取の最中、サトクリフは車から離れた所で用を足した。このとき凶器を隠した。サトクリフは警察署に連れていかれた。ナンバーを照合したところ合わなかった。サトクリフのポケットから物干しロープが出てきた。警察は一連の女性殺人の犯人だと踏んだ。現場の足のサイズが一致したが状況証拠が揃わず、サトクリフを逮捕できずに勾留した。警官の閃きでサトクリフが用を足したガソリンタンクの裏を調べたところ、ハンマーとナイフが発見されて御用となった。
サトクリフのこころに殺人癖の芽芽生えたのは28歳のとき。チェコ人女性と結婚したが逃げられ、むしゃくしゃして売春婦を買ったところ勃たなかった。売春婦は彼をバカにして、つり銭を返さなかった。後日偶然再開したが、この売春婦はこの時も釣りを返さなかった。サトクリフはこのときの屈辱感を忘れず、1969年に全くべつの売春婦を殺害した。以後、かれは強迫観念に襲われるように売春婦を殺し続けた。
サトクリフは売春婦を殺害してオーガズムに達したことは一度もなく、殺した相手が売春婦でなかったときは激しく後悔したという。彼には精神薄弱な面があったが精神病ではなかったため、終身刑となった。
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