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19世紀イギリスについて、創作活動するために調べたこと。

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ビール街とジン横丁

この書籍からまとめ
川成洋/石原孝哉「ロンドン歴史物語」丸善ライブラリー 平成6年

・ビールの誕生
紀元前4200年 バビロン
紀元前3000年 エジプトで既に国民的に飲まれていた。
8世紀 ビールの長期保存法確立
*南ドイツバイエルンの修道院にて、ビールにホップを混ぜたことで長期保存が可能になり現在の形になりヨーロッパじゅうに広まる。
*キリスト教会では薬草の栽培が盛んであった。薬で病気を直し、「奇跡が起こった」と主張すると容易に出世できた。が、なぜビールまで作っていたのかは不明。

15世紀 イギリスにビールが初めて伝わる。
*意外と遅いのは、15世紀までイギリス家庭で「エール」を作っていたため。
*エールとは保存料のホップの入らないビールで、腐敗防止のためアルコール分が強く香料や蜂蜜で味付けされていた。
*エールの作り方。麦芽を煮る。冷えたら酵母を投入。あとは常温で保存。不純物が多くドロッとした見た目。
*オランダ、ベルギーからホップ入りビールが伝えられ、エールは殆ど作られなくなった。
*とはいってもイギリス人はエールの見た目が好きだったので、ラガービールに移行せずビタービールが飲まれた。(アイルランド人もビター派)
ビタービールの特徴:ホップは強い、炭酸ガスが少ない、黒く濁っている、ざらついている、ぬるい。つまみを食べずにちびちび飲む。

・ビール規制
16世紀 ジェームズ一世(1566〜1625)がビール税を引き上げ
*庶民が気軽に飲むには高い酒になってしまった。
16世紀 ウィリアム三世(1650〜1702)酒造法改訂
*誰でも自由に蒸留酒を酒造出来るようになった。国民へのゴキゲンとり法とも言われるが、地主が自分たちの領土の販路拡大のため圧力をかけたとも言われる。
*ともあれ庶民は喜んで、ジンの酒造にいそしんだ。

・ジン
原料はトウモロコシ、麦。杜松(ねず)の実で香りづけした蒸留酒。アルコール度数は50度。
*当時の貧乏人御用達。産業革命、第二次囲い込み運動にて土地を追われた農民が下級労働者となってスラムに吹き溜まり1日18時間労働を行なっていたため、手軽に酔えるジンが爆発的にヒット。
*ロンドンのある地区では8件に1件がカウンターで酒を売る店。救貧院、監獄、工場、売春宿、理髪店でも堂々と売買。
*街頭で売り子が販売。地下室、屋根裏部屋などでも密売された。
*ジンの売上は年間800万ガロンで、一週間にひとりあたり大ジョッキ2杯(!)飲んでいたことになる。

・ホガースの銅版画、ビール街とジン横丁
ビール街:上流階級が集まる、きれいなロンドン
*背景の教会の尖塔の形から「マーティンズ・イン・ザ・フィールズ」の近くである。

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*祝旗=ジョージ二世の誕生日(10月30日)ではないかといわれている。魚売りの女性が楽しそうにビールを飲んでいる。手にしている紙?はバラッド(譚詩)。鍛冶屋、肉屋がビールを飲んでいる。鍛冶屋が捕まえているのはフランス人(ホガースはフランス人嫌い)。古本屋。売っているのはぞっき本(在庫がだぶついている本)だが、ホガースが嫌いな著者ばかり書かれている。ジョージ・ターンブルの絵画論など。右のボロイ家屋は質屋で、上流の街なので質屋通いをする者がいなくつぶれそう。質屋の中の人もビールを注文して扉から受け取っている。
ジン横丁:貧乏人の集まる、ヤバイロンドン
*モデルはウェストミンスターのセント・ジャイルズ教区のルカリー(貧民窟)である。

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*酔っ払って子供を階段から落とす女。担架にのった死にそうな人にジンを飲ませる男たち。フイゴを頭に載せた男が子供を串刺しにしている。埋葬されようとしているのはアル中の女。アル中のすえ右上で首つり自殺しているのは、床屋の主人。質屋の看板は上向きである。(画面左)ジンのみたさに鍋ややかんなど台所用品を質草に入れる主婦。画面左下は「ジンロイヤル亭」酒場。書かれている文句は「1ペニーでよっぱらい、2ペンスで泥酔し、ただのみすれば綺麗な藁布団(=監獄)」と書かれているらしい。画面右に、赤ん坊にジンを飲ませる母親(!)

セント・ジャイルス教区1814年ビール洪水事件

・ジンへの対策
*当時酒場の地下室には泥酔した人をころがしておく部屋があったらしい。面倒を見てもらえぬ子供や泥酔者など死ぬ人多数。
*ジンほしさに非人道的な行動が増える。救貧院から釣れだした自分の子供を、絞め殺して死体をベスナルグリーン(地名:BethnalGreen)の溝に遺棄し、身ぐるみを剥いで1シリング4ペンスと引き換えた母親など。
1751年 酒造法の改訂。蒸留酒に高額税をかける
*小売に歯止めがかかり一時鎮圧化。
1780年 反カトリック運動「ゴードン暴動」
*礼拝堂打ち壊しのどさくさでなぜかジン製造所が略奪される。
*ラングディル氏のジン醸造場の事件では打ち壊しでジンが路上に溢れ出た。
すると貧乏人たちが集まってすすりだし倒れたり失神したり。失神した人を狙って暴力スリ集団が略奪を行い、まさに阿鼻叫喚地獄。急性アルコール中毒に拠る死者20人。その他志望者多数。
19世紀 政府、ビール奨励(ジンよりアルコール度数が低いため)
1830年 ビール酒場法(ビアハウスアクト)制定
*ところが統計では、ビールの販売量は増えたがジンの販売量に変化がなかった。(!)結局人々はビールもジンも飲んでいたのだ。。。
19世紀以降 「嫌酒運動(テンペランス)」、「絶対禁酒運動(テイートウトラー)」加熱
*青リボンをつけた団体が禁酒運動を展開。他の禁酒派は酒類の流通自体を制限しようとしたため、酒造業界が反発。アメリカのように禁酒法が施行まで至らなかった。
19世紀後半 節度ある飲酒習慣に移行
*コーヒー、紅茶の台頭、飲酒以外の娯楽の発達。
*現在、イギリスのパブは謙虚に営業している。


コメント:酒を飲むと内臓からオエーとなるタイプなので、「酒に溺れる」という状況がよく分かった。
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