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19世紀イギリスについて、創作活動するために調べたこと。

イギリス新聞史(2)14〜17世紀

イギリス新聞史(1)

以下の書籍よりまとめ
イギリス新聞史 磯部佑一郎著 ジャパンタイムズ 1984

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イギリス以外は年号のあとにかっこで国名を記載

14世紀末(ドイツ)
*ヨーロッパ初、手記による報道紙発行される。
それらは「ツァイツング Zeitung」=新しい出来事と呼ばれた。

1436年(ドイツ)
*グーテンベルグJohannes Gensfileisch Zum Gutenberg(1400-1469)
グーテンベルグが回転式印刷機を発明。ちなみにグーテンベルクはマインツMainz生まれた。

1476年
*ウィリアム・カックストンWilliam Caxton(1422-1491)が回転式印刷機をイギリスに紹介する。
*この当時より新聞紙および記者のことは「ザ・プレス」と呼ばれるようになった。

1558年 エリザベス一世即位
*16世紀、ロンドンはすでにニュースの中心であった(セント・ポール寺院内ポールス・ウォークなど)。しかし、新聞などのメディアが未発達だったので、貴族たちはインテリジェンサー(Intelligenser)と呼ばれるエージェントを私的に雇い、最新の出来事をニュースレター(News letter)を書かせ送付させていた。

1616年 30年戦争
*ジョージ・ベスラーGeorge Veselerが「ニュースで商売」を始める。
戦争の経過を「ニューズシート」にまとめ、オランダのアムステルダムで印刷した。英字版をイギリスに運び大衆に売り分けた。
イングリッシュ・コラントEnglish Coranto
コメント:English Corantoと書いてあるが、ジョージの新聞の名前なのか、メモが汚くて分からない。たぶんそうだ。

1625年 マーキュリアス・ブリタニカスの創刊
*紙面サイズは縦7インチ(17.78)×横5インチ(12.7)×24ページ
定価は1グロート(4ペンス)
発行者は書籍商ナサニエル・バターNathaniel Butter(Wikipedia)
*マリーン・マーキュリー1642年  テムズ川に銃を持って現れた人魚
*キュリアス・デメトリカス グリニッチ海岸に銃とクシを持って現れた人魚
コメント:この部分のメモがナゾだ…。

1632年 星法院が出版を弾圧
星室裁判所(Wikipedia)

1641年 ピューリタン革命勃発

1641年 星法院が廃止される。
*報道の自由が戻る。

1642年 言論弾圧の反動?新聞の広告化

1649年 ピューリタン革命収束

1649年 チャールズ一世が処刑される。
オリバー・クロムウェルOliver Cromwellが言論弾圧を開始。
*詩人、ジョン・ミルトンがクロムウェルの言論弾圧に抵抗。
*マーキュリアス・ブリタニカスの記者マーチャモント・ネーダムMarchamont Nedhamがマーキュリアス・ポリティカスとパブリックインテリジェンサーを牛耳る。

1651年チャールズ二世の王政復古
*革命反対派のスコットランドがチャールズ二世を呼び戻してスクーンで正式戴冠

1658年 クロムウェル死去、チャールズ二世入城、王政復古

1662年 印刷出版認可法The Licensing Actの発布(チャールズ二世)
コメント:Web上で拾ったシラバスでこの辺の流れを書いてました。

1665年 ペスト大流行
*ペストの情報は特別に認可された。
*認可紙「オックスフォード・ガゼット」(のちにロンドン・ガゼットに改名)
週2回発行。告布など政府の御用紙となる。44ページの構成。

1688年 名誉革命
*ジェームズ二世追放、ウィリアム三世即位(ジェームズ二世の甥にあたる)

1695年 印刷出版認可法の撤廃=報道規制の撤廃(ウィリアム三世)
*社会的ニュース、市井の出来事などを報道できるようになる。
コメント:日本でいう三面記事が解禁されたってことか…。
*代表的な記者
ダニエル・デフォーDaniel Depoe(1660年ロンドン生)ロビンソン・クルーソーの作者。ウィークリー・レビュー紙Weekly Rview(1704年)の記者として、私見をとりさった純粋なニュースを取り扱った。後世、彼のジャーナリズムの姿勢を「ザ・タイムズ」が高く評価。
ジョナサン・スウィフトJonathan Swift
ジョゼフ・アデソンJoseph Addeson 「スペクテータ紙The Spectator」
リチャード・スティールRichardSteal 「ザ・タトラー紙The Tatler」



コメント:
次回へ続く。
私がイギリス史自体に無知なため、歴史の流れを補足していったところ17世紀だけでかなりの量になってしまった。
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