イギリス新聞史(3)18世紀 イギリス新聞史 2012年02月19日 イギリス新聞史(2)14〜17世紀1711年 ロンドンの週刊誌発行部数が4万4千部に達する。*「うそ、大げさ、紛らわしい」ものも多数。1712年 政府が*印紙紙税*を開始。*「うそ、大げさ、紛らわしい」に対応するためという言い分?*2つ折片面刷り紙は半ペニー、両面刷紙は1ペニーの印紙を、紙面の下方に貼らせた。新聞業界は打撃を受けるが、商業の発達により市民の購読熱は加速。印紙税自体は1855年まで継続したが、徐々に引き下げられた。1714年 ジョージ一世(ハノーバー家)が即位。1727年 ジョージ二世が即位。1733年 エドワード・ケイブEdwordCaveが「ジェントルマンズマガジン」を刊行開始。*年2回の刊行。今日的な意味での、世界初の雑誌。1753年 手押し印刷機が普及。1753年 全体の発行部数750万部達成1760年 ジョージ三世即位。*ジョージ三世、23歳。*ジャーナリズムの躍進。議会報度が禁じられていたが、ウッドフォール家が議会報道の禁と戦う。1760年 全体の発行部数950万部達成1767年 全体の発行部数1100万部達成1772年 議会報道の禁が撤廃1772年 モーニング・ポスト紙Moning Postがヘンリー・ビュートによって創刊される。*モーニング・ポスト紙は有名詩人を囲い雇って人気を博した。ワーズワースサウゼイ(サウジー)コールリッジチャールズ・ラム…ジョーク作家で毎朝ジョーク話を書き、1編6ペンス程度で売っていた。(高くはないらしい)*モーニング・ポスト紙は1781年、オダニエルが経営者になったことで社会的ニュースを取り上げるよう方針変更。読者を楽しませる姿勢。のちにデイリー・テレグラフと合併。コメント:サウジーの肖像のファッションのリボン(スカーフ?)が素敵だ。1776年 新聞、ロンドンだけでも53紙の日刊・週刊誌が発行される1786年 モーニング・クロニクル紙がウィリアム・ウッドフォールによって創刊。*ジェームズ・ペリーが記者として雇用される。ペリーは壮年から記者として才能を発揮。*モーニング・クロニクル紙の編集主宰にスコットランド人のジョン・ブラックJohn Blackが選ばれる(1817年)。ブラックは寄稿家を集めてクロニクル紙を盛り上げた。ジョン・スチュアート・ミルチャールズ・ディケンズ*ウッドフォールは1793年に所有していたパブリックアドバタイザ紙を他社に譲る。1805年に死去。次回(19世紀)へ続く。 PR