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19世紀イギリスについて、創作活動するために調べたこと。

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参考図書

<図書館で借りたものなのでメモ>


ロンドン
図説ロンドン都市物語 パブとコーヒーハウス 小林 章夫/著 河出書房新社
ロンドン・シティ物語 イギリスを動かした小空間 小林 章夫/著 東洋経済新報社
とびきり不埒なロンドン史 ジョン・ファーマン/著 筑摩書房
図説ヴィクトリア朝百貨事典 ふくろうの本 谷田 博幸/著 河出書房新社
ロンドン路地裏の生活誌 上 ヴィクトリア時代 ヘンリー・メイヒュー/著 原書房
暖房の文化史 火を手なずける知恵と工夫 ローレンス・ライト/著 八坂書房 図書
世紀末までの大英帝国 近代イギリス社会生活史素描 叢書/現代の社会科学 長島 伸一/著 法政大学出版局
エロティックな大英帝国 紳士アシュビーの秘密の生涯 平凡社新書 小林 章夫/著 平凡社
図説イギリスの王室 ふくろうの本 石井 美樹子/著 河出書房新社
ロンドン路地裏の生活誌 下 ヴィクトリア時代 ヘンリー・メイヒュー/著 原書房
ベッドの文化史 寝室・寝具の歴史から眠れぬ夜の過ごしかたまで ローレンス・ライト/著 八坂書房
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その他
パリ・サンテ刑務所 主任女医7年間の記録 ヴェロニック・ヴァスール/著 集英社
実践的新聞ジャーナリズム入門 猪股 征一/著 岩波書店
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19世紀イギリスの貧困認識2

この記事
の続き
この書籍を要約
安保則夫「明石ライブラリー81 イギリス労働者の貧困と救済ーー救貧法と工場法」2005年10月20日初版

・ペル・メル・ガゼット紙 pallMallGazette
1883年10月16日以降、都市スラム問題解決のためのキャンペーンを精力的に展開。
編集長W・T・ステッドWilliam Thomas Steadの方針
パンフレット「悲痛な叫び」(1883年10月)の内容を紹介する記事を掲載。続いてそれに対する読者からの投書を掲載。さらに社説を通じて、国家による抜本的な住宅対策の確立を訴えるなど。

・マーンズとプレストンのパンフレット以前の、スラムを扱った著作
E・チャドウィグ、H・メイヒュー、チャールズ・ディケンズCharlesDickensなど。また、スラム住民の生活風俗を報じた新聞記事もあった。
メイヒュー『ロンドンの労働とロンドンの貧民』London Labour and the London Poor)(1861年〜62年全四巻)は、それより以前にメイヒュー自身がモーニングクロニクル紙MorningChronicleに発表した記事(1849年〜50年)を元に書いた。

・大衆にとってのスラムの記事
1880年代以前…スラムの状況を伝える記事は読者にとって好奇心を満足させてくれる対象にすぎなかった
1980年代以後…深刻な社会問題としての認識が広まる。8日刊、週間、月間、季刊問わず各種の新聞雑誌において、スラム問題を様々な角度から取り上げた記事、報告、論文が多く発表された。

・パンフレット以前のスラムに関する記事
『ピクトリアル・ワールド』紙PictorialWorldとデイリーニューズ紙DailyNewsは、マーンズとプレストンのパンフレット(1883年10月)が出版される数カ月前から、貧困についての連載を掲載していた。著者はG・RシムズGeorgeRobertSims。マーンズとプレストンがパンフレットを作成するにあたってシムズの記事を参考にしたことが明らかになっている。(シムズ自身、『貧民の生活状態と恐怖のロンドン』How the Poor Live and Horrible London(1889年)と題する書物の中で、パンフレットの作者から自分の記事を参照したいとの申し出があったので許可した旨を記している。
つまりマーンズとプレストンのパンフレットが貧困への認識を啓蒙した最初の文書ではなかった。しかしながらこのパンフレットが特に社会に大きな反響を呼び起こした理由は、このパンフレットがスラムの存在を、一刻も放置できない社会の問題として読者大衆の脳裏に強く印象付けたことにあった。読者はリアリティとしてのスラムの実態をつきつけられた。「暗黒の世界」「泥沼」「裂け目」「洪水」といった言葉言葉を用いて読者にイメージを植えつけたからだった。
したがって、1883年10月以前にスラム問題を報じた新聞雑誌が多く存在したとしても、マーンズとプレストンのパンフレットのインパクトはまったく損なわれない。むしろこの流れの中にスラムに対する社会の眼差しと感受性が形成されていった課程を読み取れる。

・B・ウェッブ「新しい罪の意識」
ウェッブは人々が新しい罪の意識に目覚めたと指摘する。それは「産業組織が途方もない利潤を生み出す一方で、大部分の人々には見苦しくない程度の生活さえ提供出来ないのではないかという不安」であるという。そしてやがてスラムの貧民がついには文明社会を転覆させるのではないかという恐怖を抱いた。

・救済貧民と労働者の線引き
ブースは社会問題に対処するために、まずは救済に値する貧民を選別することにした。労働者をAからHのグループに分けた。
A 臨時日雇い労働者、浮浪者、順犯罪者など最下層
B 不特定所得者…「極貧者」
C 非定期所得者…「貧困者」
D 定期的小学所得者…「貧困者」
E 定期的標準所得者…貧困線以上
F 上層労働者
G 下層中産階級
H 上層中産階級

19世紀絵入り新聞が伝えるヴィクトリア朝珍事件簿

図書館から届いた。読み途中。
読む本多すぎる。。

英国を中心に絵付き三面記事。
絵(銅版画?)が沢山入っており、全て見出しが付いており凝っている。ただし見出しは日本語。新聞の見出しのイメージ。地紋の種類はさすがに少ないかも。

コメント:自殺、虐待など…日本でもよく見る話題も多い。

クリスマスキャロル(ジムキャリー)

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新しくてフルCGでジムキャリーのほうのクリスマスキャロル
・カメラワークに俯瞰が多いので19Cイギリスの街並みや調度品の雰囲気が大変わかりやすい。特に屋外
・フルCGなので透明感があり、街並みや調度品の雰囲気が(以下略)
・画面も演出も明快で少し目を離していてもすぐ話の筋が分かる。

コメント:映画見てる時目ェ離すなよって感じだ…。DVDだとついつい油断をするので。
19世紀イギリスモノは全体的に暗いものが多いので、たてつづけに見るときは間に挟むといいと思う。

19世紀イギリスの貧困認識

この書籍を要約
安保則夫「明石ライブラリー81 イギリス労働者の貧困と救済ーー救貧法と工場法」2005年10月20日初版

パンフレットが変えた19世紀イギリスの貧困認識
「ロンドンの見捨てられた人々の悲痛な叫びーー零落貧民の状態に関する調査」The Biter Cry Outcast London:An Incqiry into the Condition of Abject Poor
全文20ページのパンフレット。(以下、パンフレット。)
1883年10月にロンドン組合教会同盟London Congregational Unionがパンフレットを出版した。執筆にあたりイーストロンドン礼拝所East London Tabernacleの伝道師と牧師(ロンドンシティ・ミッションの活動家たち)が行った実地調査を元に作成された。
パンフレットの末尾には連絡先としてファリントンストリートのメモリアルホールにあるロンドン組合教会同盟のマーンズ牧師Rev.Andrew Meansの名前を表記。しかし著者自体は匿名。
パンフレット販売に拠る利益はロンドン組合教会同盟の事業のために充てられた。

このパンフレットの冒頭で、いままでのキリスト教会の貧民救済活動は限定的であったり不十分であったと認識を明らかにしている。また、ロンドンについて、上辺では体裁の良い都市を取り繕っているが中心部では道徳的退廃、神を全く信じない人々が溢れており、(教会が人々の)行いを正すような事業は何も行われていないと報告している。

パンフレットの価格は1ペニーであった。廉価であったことと、新聞が積極的に取り上げたことで一大センセーションを引き起こした。宗教関係者、社会運動家、政治家など知識階級が興味を持った。
ウォールAnthony S. Wohlによればパンフレットの出版を境に急激にイングランドじゅうがスラムの現実に関する認識を持ったそうだ。

パンフレットの項目:
前文、礼拝の欠如、彼らの生活状態、不道徳、貧困、何をなすべきかについての提案、地区の状況

前文
「長いあいだの、忍耐強い、まじめな調査の結果」(263ページ)、教会がしているつもりになって大したことをしていなかったことに気づき、宗派を超えてキリスト教会として対策に乗り出すべきであると書かれている。

礼拝の欠如
労働者階級が礼拝に通う習慣が欠落していることを具体的数値で報告している。比較的敬虔な信徒と思われていたオールドフォードですら低い数値を叩き出した。
オールドフォードOld Ford周辺:
「いかなる礼拝も参加しない」147件の長屋住宅に住む118/212家族
ボウコモンBow Common:
「礼拝に参加したことがある」135人/2290人(内訳:大人88人、子供47人)
レスタースクエアLeicester Squareのある通り:
「礼拝に参加したことがある」12家族/246家族
セントジョージズイン・ジ・イーストSt,Georges in-the-Eastのある地区:
「礼拝に通っている」39人/4235人

彼らの生活状態
部屋の平均的な大きさは8フィート平方(1フィートは約30.5センチ)。
腐朽して汚臭のする貸家のどの部屋にも、家族がしばしば2家族住んでいた。※1
報告されている住民のようす
・8回目のお産を終えたばかりの妻
・天然痘にかかって床に付している夫
・半裸の汚い身なりで走り回っている子たち
・地下の一室に父母と3人の子供と4匹の豚を飼っている家庭
・地下の台所で住んでいる7人家族。同じ部屋に死んだ赤子が横たえられている。
・別の部屋では寡婦1人。子供3人。死んでから13日たった子供。夫は馬車を引いていたが自殺した。
・別の部屋では寡婦1人。子供6人。うちふたりは成人(27歳の息子、21歳の娘)。
・別の部屋では親のない姉弟9人。長子は29歳。
・別の部屋では母子。母は部屋を夜半過ぎまでラブホテル替わりに人に貸し、子供は家から追い出されているが行き場がなくやがて戻ってくる。
・ベッドがある部屋では汚れたぼろきれ、削り屑、わら。これらをごちゃごちゃに寄せ集めたベッドを利用している。部屋の借主の寡婦はこのベッドだけを使用し、他の部分を他人に又貸ししている。又貸しの金額は2シリング6ペンス。

におい
・うさぎ、ネズミ、犬など動物を引き裂いた(毛皮職人に売る)あとにのこる毛皮の残りが発する悪臭。
・売り物(昨日の残り)の魚、野菜などの腐敗臭
*窓をあけることができたが換気は、空気が入らないので特に意味がなかった。

部屋が借りられない者の生活状態
上記のような住宅に住めるのはまだよいほうで、共同宿泊所に寝泊まりする者もいた。共同宿泊所は盗品故買人によって運営されることが多かった。男女混合の施設あった。宿泊部屋では一部屋に60〜80のベッドが両側に一列に並べられていた。料金は一泊2ペンスであった。

共同施設に泊まれない者の生活状態
階段や踊り場にたむろしている。踊り場に6〜8人が寝ていることも珍しくない。
正直な労働者が凶悪犯と隣り合わせであることが珍しくない状態であった。
パンフレットは、腐ったみかんが隣のみかんを腐らせるような内容を記載している。

犯罪に手を染める者は多かったか?
正当な労働で賃金を得ようとしている者が多かった。
ブログ内リンク 前回要約したところ

パンフレットが露呈させる「こころの痛むような悲惨な光景」
・みじめな部屋。8人の困窮した子供。父親は既に亡くなった。宣教師が尋ねると母親が棺桶に横たわっていた。
・不潔な屋根裏部屋。壊れたイス一脚、ソースパン(つぶれている)、ボロ着。汚い寝床にボロ着で裸足の4歳の女子が座っている。父親は民兵のために不在。母親はほっつきあるっている。4歳の子は赤子の世話をさせられている。自分の空腹は半日ほったらかしである。


※1 8フィート平方 ○○平方は一辺が○○の正方形なので、2.4メートル×2.4メートルの正方形。
畳でいうと4畳より小さい。数字があやまっているのか?と思うほど過剰に詰め込んでいる。