切り裂きジャック 人物(実在) 2012年02月29日 フロム・ヘル [DVD]新品価格¥4,980から(2012/2/29 16:29時点)フロム・ヘル(結末まで書いてしまっているのでこれからDVDとか見る予定の人は読まないで下さい。)ざっくりあらすじ:1888年、娼婦で赤毛のメアリーケリーの仲間たちはニコル組というやくざからショバ代4ポンドを払うよう脅されていた。メアリーケリーの元娼婦仲間のアン・クルックは、結婚して潤った生活を送っていた。アンの夫は外国で絵を売っていて、戻ってくるという。アンは夫に仲間のショバ代を出してもらおうと、意気揚々とメアリーケリーに赤子アリスをあずけて出かけていった。しかし夫とセックスしているところに、なぞの組織が乱入し、別々に連行されてしまう。連行の様子を建物の外で目撃したメアリーケリーたちは、心配していた。けっきょくアンは精神病院に放り込まれ、「凶暴性を排除するため前頭葉を3箇所傷つける手術」をほどこされてしまう。そんななか、ホワイトチャペル地区で娼婦が殺害された。殺害した後女性器を切除する残忍な犯行だった。地区のアバーライン警部(ジョニーデップ)は、妻子を失ったショックでアヘンを吸うようになり、キメると被害者の映像が見られるという直感を持っていた。そして、この事件を皮切りに連続して娼婦が殺害されることを予期していた。警部がラリって見た映像通り、こんどはメアリーケリーの娼婦仲間4人が次々と標的になり殺害されていった。捜査でメアリーケリーに近づいた警部は彼女に惚れてしまう。捜査のなかで、警部はヴィクトリア女王の王子エドワードがカソリックの教会で秘密裏に結婚したことを知った。相手はなんと、娼婦のアン・クルックであった。アンの夫はエドワード王子だったのだ。しかも、王子が梅毒でまもなく死ぬことを知った。これらの情報から警部は、一連の犯人は王子の健康を一手に引き受けていたウィリアム卿であると考えて追い詰めた。ウィリアム卿は娼婦が自らの信頼を貶めたとして、憎んで犯行に及んだのだ。じっさい警部の推理は正しかった。しかし警部は、ウィリアム卿の次の犯罪を止められなかった。メアリーケリーは家屋の中で、最高の医学の知識を用いてバラバラにされていた。現場検証に訪れたアバーライン警部は絶望に打ちひしがれたが、髪の色が赤毛ではなく亜麻色だったので死体がメアリーケリー本人ではないとさとった。ウィリアム卿はフリーメイソンの所属であったので、メンバーたちから制裁を受けた。例の前頭葉の除去手術を受けさせられ、廃人となって精神病院に贈られた。警部あてメアリーケリーから手紙があり「海辺の家で暮らす」と書かれていた。部下の刑事は会いに行くようにすすめるが、警部は動かなかった。警部は阿片窟でメアリーケリーがアン・クルックの娘アリスとしずかに暮らしている夢を見ていた。部下の刑事が居場所をつきとめて阿片窟を訪れると、警部はすでに息を引き取っていた。刑事は、かつて警部が娼婦の遺体にそうしたように警部の目を閉じさせ、シリング銀貨を両まぶたに乗せてやった。コメント:実際の切り裂きジャック事件は、迷宮入り PR
ジョージ6世 人物(実在) 2012年02月28日 英国王のスピーチ コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD]新品価格¥2,900から(2012/2/28 16:10時点)英国王のスピーチざくっとあらすじ:王太子ジョージ6世(現女王エリザベス2世の父)は幼少のトラウマから吃音があった。様々なセラピストの治療を受けていたが改善しなかったジョージ6世は、ある日妻のエリザベスが新聞広告からチョイスしたオーストラリア出身のライオネル医師の元をたずねた。ライオネルの治療はユニークだった。医師は「診察では二人は平等」といい、王に親しく話しかけて治療をスタートさせた。ジョージ6世の心はかたくなで一度は治療を投げ出したが、ライオネルのもとで録音した朗読が思いの外すらすらと読めたことに心を動かされて治療を続けることにした。演劇のように肺活量を鍛えたり、リズムに乗ったり、時には心の中の汚い言葉を吐き出したりしてライオネルの治療は進んでいった。しばらくしてジョージ5世が亡くなり、兄のエドワード8世が即位した。しかし兄は2度の離婚歴のあるアメリカ人女性(しかもドイツと関係がある女性)と結婚したいがために王位を弟に譲ってしまった。これは兄が王になると思い込んで何の準備もしていなかった弟にとって最も恐るべき事態だった。1936年12月12日、ジョージ6世は望まぬ即位をした。ジョージ6世には自身がなかったが、ライオネルの猛特訓を続け、ドイツへの宣戦布告のスピーチも見事にこなした。その後のスピーチは全てライオネルが立ち会った。太平洋戦争を経て、ジョージ6世は侵略運動から英国を守るシンボル的な存在になった。やがて王は医師に勲章を与え、彼らは一生の友であった。ジョージ6世
トマス・モア 人物(実在) 2012年02月28日 わが命つきるとも [DVD]新品価格¥9,980から(2012/2/27 23:26時点)ざっくりあらすじ:ヘンリー8世は男児の産めない妻と離婚してアン・ブーリンと再婚したかったがカトリックである王が離婚するためにはローマ法王の許可が必要だった。そこで王は離婚の件で大法官モアを訪問した。モアのカトリック教徒としての心は離婚に反対だった。忠誠と信仰のあいだで板挟みになったモアは沈黙のまま大法官の職を辞した。ヘンリー8世は国ぐるみでローマカトリックを脱退し、イギリス国教会の主となりアン・ブーリンと再婚していた。王の秘書官であったクロムウェルはモアを拘留し、離婚について擁護する言及させようとした。しかし元大法官はさらに沈黙を続けた。留置所?を訪問した家族がモアを説得したが、彼の決意は固かった。裁判にかけられ、恩赦の最後のチャンスが与えられたが、離婚を認めると言わなかった。彼はロンドン塔に移され、1535年に打ち首になった。処刑人に対して「許す」と述べた。動乱の中、クロムウェルは数年後に処刑、モアを大法官に推薦した友人も処刑となった。国王は梅毒で死んだ。ーーー※ヘンリー8世の後釜には先妻の子メアリーが即位する。アン・ブーリンが権力を握っている間、メアリーはヘンリー8世と面会することも出来なかった。何かの反動のようにメアリーはプロテスタント迫害を始め、ブラッディ・メアリーと恐れられた。その他:ハンス・ホルバインが描いている大法官のアクセサリーがそのまま再現されている。Wikipedia トマス・モアWikipedia ヘンリー八世Wikipedia クロムウェルWikipedia メアリー一世
アガサ・クリスティ失踪事件 人物(実在) 2012年02月21日 桐生操「イギリス 怖くて不思議なお話」朝日メディア1993年よりまとめ。新聞の名前がたくさん出てきたので少しつぶさに要約してみる。アガサ・クリスティ(1890年デヴォンシャー州トーキー生まれ)30歳で作家デビュー。1914年、24歳のときすでにアーチボルド・クリスティ大佐と結婚していた。一人娘をもうけるが、夫婦仲が上手く行かなかった。1926年12月3日金曜日22時ごろ車に乗って出かけたまま失踪。・失踪後、イギリス銃の新聞がアガサ・クリスティの失踪を報じた。・翌朝(土曜の朝)、アガサはロンドンの北北西300キロにあるハロゲート・ハイドロパシフィックホテルにチェックインする。アガサはミセス・ニールと偽名を名乗って泊まっていた。南アフリカのケープタウンからの旅行で、娘が死んだので傷心旅行に来た、と周囲の者に告げていた。あまり不信に思うものがいなかった。(チェックインから2日後、ナゾのミセスは未亡人なのにドレスを購入しに街まででかけた。その後は服をとっかえひっかえしたり、散歩したり、教会に行ったり。少し不審であった。)・ある者が新聞に載っている婦人と似ていると気づいて警察に通報する。・警察は2日間、「ナゾのミセス・ニール」を監視を続けた。・月曜、警察がナゾの婦人を張り込んでいることがマスコミにばれた。「デイリー・メイル」が記者とカメラマンを特別仕立ての列車に乗せて送り込んできた。記者の中には、リッチー・コールダーがいた。・コールダーがミセス・ニールに接触した。「クリスティ夫人」と呼びかけたら落ち着き払って、「私は記憶喪失だ」と言った。・アガサ失踪から一週間後、「ザ・タイムズ」に新聞広告が掲載された。内容は「南アフリカから帰国したテレサ・ニールをご存じの方は私書箱まで知らせて欲しい」というものだった。さらに後日の警察の調べでは、この広告を出したのは実はアガサ自身だったことがわかった。・警察がパニックになっているすでにこのとき、アガサはコールダーにだけ、自分がアガサであることを認めていた。・12月14日の火曜日、クリスティ大佐は警察から連絡を受けてハロゲートに到着。・後から考えれば本当に記憶喪失の人間がそう言うかは甚だ疑問だったが、当時の周辺関係者は以下のように考えて慎重に事を運んだ。1、クリスティとニールは別人の可能性 2.クリスティがニールであり、さらに本当に記憶喪失である場合、下手を打つとショックで容態が悪くなるかもしれない。・夫クリスティが夜会で妻に近づいたところ、妻アガサは夫を見て「兄だ」といった。彼女と彼は揃ってそこで夕食を取り、部屋にもどった。集まっていたマスコミは声明と単独会見を狙ってロビーで騒ぎ立てた。結局「ヨークシャー・ポスト」のハロゲート支局員ケニヨンがスポークスマンとして夫妻にインタビューした。・夫クリスティは「妻は完全に記憶喪失」と述べ、妻を連れてロンドンに戻った。・「デイリー・メイル」の記者が裏口でアガサの姿をカメラに激写した。高価なコートをまとっていた。・夫妻はロンドンのアブニイ・ホールに到着した。「デイリー・メイル」が電報を打った。内容は「売名行為ではないか?捜索に税をつぎ込んで納得しない市民がいるので説明してほしい」・夫は再び「妻は完全に記憶喪失。金曜土曜の記憶は全くない」とコメントした。・結局アガサがなぜ名前を偽って、ホテルに止まって失踪騒ぎを起こしたのかはナゾのまま終わった。女性ごころを考えると、夫の気持ちを取り戻したかったとも考えられるが、夫婦仲は戻らず、事件の2年後に離婚した。1930年にアガサは再婚した。・小説の宣伝のためかは定かではないが、結局この事件によってアガサの小説は売れに売れた。
クリスティン・キーラー 人物(実在) 2012年02月21日 桐生操「イギリス 怖くて不思議なお話」朝日メディア1993年この本から「クリスティン・キーラー」を要約。この部分、主語がイングランド側、ロシア側と移り変わりすぎて何度読んでもさっぱり分からなかったのでまとめてみた。クリスティン・キーラー概要:プロヒューモ事件(1961〜62)の関係者。ジョン・プロフューモ陸軍相の愛人。・若いころキャバレーやナイトクラブを遊びまわっていたクリスティンはワードという男と知りあって同棲を始めた。・ワードは表向きは接骨医だが、上流階級に高級娼婦を仲介する裏の顔を持っていた。クリスティンは美しく、また浮ついた性格だったのでワードに利用された。具体的には怪しげなクラブに連れていかれてはそこで知り合った新たな男と遊び歩いた。強制されたのではなく彼女の自発的な行動だった。・クリスティンはこのときプロフューモと知り合って付き合い始めた。・ワードはその後もいかがわしい社交界を渡り歩き人脈を広げていた。彼はソビエトの海軍大尉ユージン・イワノフと知り合った。・そのうちM15(イギリス情報局保安部)がワードに接触した。M15は彼の違法行為を咎めない代わりにソビエトの情報を流すように要請した。そこでワードはクリスティンを利用した。イワノフに紹介してスパイに仕立て上げたのだ。何も知らないおろかなクリスティンはイワノフとも付き合い始めた。・ところがイワノフのほうが上手だった。イワノフはワードがイングランド側のスパイであることを見抜いた。さらにクリスティンがイギリス陸軍相の愛人ということまで調べ上げた。イワノフはワードを揺すり、以下の情報を提供するよう要請した。「アメリカが西ドイツに核を提供するかどうか、プロフューモから聴きだしてくれないか」・ワードはとにかくスネに傷の多い男だった。セックス写真を取ったり、とにかくイギリス紳士にあるまじきいかがわしさだった。これはプロフューモにも当てはまるが、上流の男性にとって、娼婦を買うことはもちろんエロポラロイドを撮っているようなスキャンダルはご法度だった。というわけで、断れなかったワードはイワノフに言われるままに二重スパイになった。彼はクリスティンをさらに利用して、プロフューモから聴きだした情報をソビエトに横流ししようとした。・1962年、野党である労働党の議員ウィッグは「プロフューモを監視しろ」とナゾのタレコミ電話を受けた。この電話はおそらくスキャンダルを狙ったソビエトのスパイからと思われる。・一年半かけて、ウィッグは徹底的にプロフューモの身辺を調査し、上記の関係を調べ上げる。情報を揃えたウィッグは下院議会でプロフューモに機密保護の問題について質問した。プロフューモは完全否定をした。これは与党にとっては寝耳に水の話だった。与党はプロフューモはを問い詰めたが、白状しなかったのでおかしいと感づき、M15の担当者を呼びつけた。M15とソビエトのスパイ合戦は内閣の知らぬ間に繰り広げられており、内閣は初めて大スキャンダルが起きていることに気づいた。・マスコミが騒ぎ立てた。クリスティンは浅はかだったので、マスコミの多額の謝礼に釣られて、プロフューモから貰ったラブレターを見せてしまう。・プロフューモは陸軍相を辞した。・ワードは孤独の中で自殺した。・クリスティンはマスコミから逃げまわる生活ですっかり老けこみ、結婚離婚、アル中の生活を経て1人の息子を育てた。・1960年、クリスティンを題材にした映画が公開され、クリスティンは息子と共に上映に現れた。「スパイだなんて思っていなかった。享楽を追求していただけだった。いまは息子だけが生きがい」コメントした。…事件をもとに作られた映画「スキャンダル」1989年*クリスティンはロンドン郊外レイズベリーの貧しいスラムで生まれた